当たり前

当たり前 って思ってない?身近なものは儚いもの

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生きているだけでも、目一杯走り回るだけでも、美味しい食べ物を食べられるのも当たり前の様で当たり前じゃない幸せなことです。

突然風邪を引いてしまった時に健康であることがどんなに幸せなことなのか、歯が痛くなった時に何でも食べれることがどんなに幸せなことなのか改めて気付かされるのです。

今回は当たり前で人間の一番身近にあるなくてはならないものである「水」についてご紹介していきたいと思います。


 

水不足がどんどん深刻に・・・

オーストラリアに旅に行っていた時は特に、水に対してはすごく敏感でした。

キャンプをする時に生活水をいかに確保するかも課題で、皿を洗う時や米を炊く時など、意外にも水を使うシーンは自分たちが思っていた以上に多かったです。

特に洗濯をする時とお風呂は本当に多くの水を使うので、結構気を使っていました。

オーストラリアではお風呂は3分しか入ってはダメ(もちろん湯船を溜めるなんてご法度)という地域もあり、髪が長かった私にとってはその3分がいかに大切だったか・・・。

オーストラリアとは逆に、日本にいると水が豊富で、それこそ当たり前にあるものの1つでもあります。

しかし一方で飲水はスーパーで買ったりと、当たり前のものを”買わなければならない”という状態になってきています。

いずれは空気すら”新鮮な空気”として売られる日が来るのではないかと思うほど。

もはや水を買うことは当たり前になっていますが、水を買うということは結構な一大事ではないのかなと私は思います。

 

水は人間の生きる源

水は人間の生きる源であり、それは他の動物や植物も同じです。

新鮮な水で育った野菜はもちろん美味しく、美味しい野菜を食べた人間は健康に体になります。

食についても色々見直されてはきていますが、添加物や農薬など、まだまだ見直すべき所は多く、消費者の私たちも見た目ばかりに騙されてはダメだなと思います。

何においても使われる水はこれからも生きていく上で必要なものであり、守り続けなければいけないものです。

これからの私たちの子孫、そして地球を守っていくためにも当たり前に売られている食についても見直すべきです。

 

水が生きている場所

私が九州を旅行した時に、水の豊かさに驚きました。

驚きとともに、自然が残っている場所にはこんなにも水が生きている場所があるんだなと嬉しい気持ちでいっぱいでした。

地域によっては水道をひねったら湧き水が出てくる地域もあるようで、こんな贅沢はないなと心から思いました。

そして自然がいっぱいあるところで飲む湧き水は本当に美味しく、スーパーなどで売っているどこどこの水とは比べ物になりませんでした(きっと飲んだロケーションも関係ありますね)

昔はどこでもこんなに美味しい水が飲めたところがたくさんあったのだと思います。

美しい美味しい水を目の当たりにして、当たり前の素晴らしさを再確認しました。

 

当たり前は守り続けて当たり前

当たり前のことは、誰かが守り続けてくれていることで当たり前になっているのだと思います。

自分が良い生活習慣を送っているからこそ健康でいられ、お母さんがご飯を作ってくれているから家族が1日頑張れて、お父さんが働いてくれているから生活ができて、子どもが笑顔でいられるからお父さんやお母さんが頑張れる。

伝統や文化も守り続けてくれている誰かがいるから続いているのです。

ありがとうという言葉は「有り難い」ことであって、当たり前のことに感謝するという意味合いがある素敵な言葉です。

お水の話から話は大分とびましたが、生命の源であるお水を始め、当たり前のことを大事にしていきたいですね。


 

おわりに

今回は当たり前の様にあって当たり前ではない水についてご紹介していきました。

水を始め、あらゆる自然の恵みに感謝し、それを次の世代世代へと受け継いでいけるといいなと思います。

そのためには一人一人が意識して今ある儚い大切な物を守り続けていかなくてはなりません。

当たり前のことに感謝する言葉「ありがとう」も大切にしたい当たり前の言葉の1つですね。


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わくわくドキドキすることが大好きで色んなことに挑戦していけたらなと思っています。バックパッカーでしたが、最近は地に根を張ることを決め、ひとめぼれした場所に住んでいます。今まで生きることは「考えること」と思ってきましたが、最近はそれに「表現すること」という考えが新しく加わりました!毎日を大切に、あっという間に過ぎてしまう時間を大切にしていきたいです。

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